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『読書の価値』

森博嗣 NHK出版新書

本をなかなか読めない時期には、本を読みたくなる本を読むことにしましょう。
小説家の森さんがどのような読書をしているのか?気になります。

森さんは本というのは、人とほぼ同じだといいます。
「本に出会うことは、人に出会うこととかぎりなく近い」「それを読むことで、その人と知り合いになれる」。
時間や空間を超えて手元にやってくる本たちを「人」だと思うと、ますます大切にしなくてはいけませんね。

森さんは、本は指図されずに「自由」に選びたい、といいます。

たとえば、一日に一時間の読書の時間があるなら、同じくらいの時間を、本探しにかけても良いだろう。本を探して自分のために選ぶ行為は、それほど重要だということである。そして、その本を探している時間もまた、自分にとって有意義なものになる。探すだけで、数々の変わった本に出会う。読まなくても、ちらりと見るだけでくすっと笑えたり、こんなものがあるのかと驚いたりできる。それだけでも、沢山の発想をもらえる。

ネットでの本探しにも、かなり時間を割いて習慣的に続けているそうです。
私も、書店よりもネットで本を探すことが多いので、ちょっと勇気づけられました。

ところで、自分について書かれている、と思う部分がありました。

  ネットにおける読書体験のアウトプットは、他者に対して、「私はこれを読んだ」と伝えることが第一目的のようでもある。そうすることで、その本については話ができる、議論をする用意がある、と言っているのだ。同じ本を読んだ人に出会いたい、という希望も強いようだ。共感を求めているのである。
 もし、共感を得たいのならば、もう少し「どう感じたのか」という点をアウトプットした方が良いと僕には思えるのだが、ほとんどそうは語られていない。ただ、どこが良かった、どこが印象的だった、という「場所」だけが示されている。

  なかには、本の中から文章を抜き書きして、大量のコピィだけをブログに挙げている人もいる。おそらく、傍線を引いたのと同じ作業の一環だろう。そこをあとで自分で読み、そのときの気持ちを思い出すつもりだろうか。しかし、どう感じたかを記録しなくても良いのか、と心配になる。そちらは覚えていられる自信があるのかもしれないが、どうも矛盾した行為に見える( ちなみに、このような抜き書きをネット上で公開するのは、著作権法に反する違法行為である)。

私が書いている「読書感想文(報告文?)」はこのスタイルでいいのだろうか?と最近考えていたところでした。
他の方の書評を読むと、自分の意見などもバランスよく入れて書いている。
いっぽう、私の文章は森さんがいうように、よかった「場所」だけを示していることが多い。
どう感じたかを言葉にうまくすることができずに、気に入った部分を引用しているだけだったかも。
反省。

ただ、なぜブログに書くかというと、共感を求めているというよりは、読んだことが少しは他の人の役に立てばいいなあ、というほうが強いかもしれません。
まあ承認欲求も間違いなくありますが、それだけではない。
新聞、書店のみならず、ネットで見知らぬ「本」と知り合いになることはよくあります。
そういう機会を提供することに少しでもつながればいいな、と。
きれいごとですけど。

森さんは、ブログについてはテーマを本に限定せずに書いた方が書く力がつく、ともいっています。
いろんなテーマで書ければいいと思いますが、書く基礎体力をつけるためにしばらくは「本」をベースに、もう少しがんばっていきたいな。

 

読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)